原田弘良感謝の理由   覚醒 編

第一話 一人で何でもこなす営業マン

U社長から、
当時300万という大金を貸していただいてからは、
資金繰りも一段落しました。

その後、半年で2割位お礼を付けて全て返済しました。

その後もずっとU社長とのイイ関係は続きました。

本当にありがたい事です。

感謝です。

7人でスタートさせたアクアでしたが、
私以外は全員制作社員のため、
私自身が一人何役もこなしました。

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社長兼、営業兼、経理兼、制作部長兼、受付です。

クオリティは、
どんどんブラッシュアップし続けました。

お客さんの意向を聴き、
さらに上げていく感覚です。

設立後半年くらいで、
今のアクアのベースになるタッチは
出来上がっていたと思います。

私は、設立当初から、
名刺を2枚持ち歩いていました。

一枚は社長の名刺、
もう一枚は肩書無しの名刺です。

その2枚を相手によって使い分けていました。

その理由は、
偉いCDも新人のプロマネも、
私がすべて対応しなければならないからです。

今でもお客さんから
「原田さん、社長になったんだあ、おめでとうございます」
と言われる時が、たまにありますが、
「昔から社長だったんですけど」と内心思います。

しかし、むしろそれでいいのです。

名刺を2枚持って仕事をしていたわけですから、
カン違いされても、ムリもありません。

創業から、半年間くらいは、
一日も休みませんでした。

というより、三ヶ月くらいは、ほぼ徹夜の毎日でした。

しかし、徹夜しなければならなかった、
本当の理由は、仕事の量が多かったからなのではなく、
絵を描くスピードが遅かったからです。

芸大出身の素人もいるわけですから、それは遅いです。

当初から私は新たなやり方を発案して、
試行錯誤を繰り返し、タイムを計って、
どんどん時間を短くしていきました。

その甲斐あって、
日に日にクオリティがアップしていき、
更にスピードアップも進み、
その分物量をこなせるようになっていきました。

私自身も、昼は営業回り、
夜は制作の作業を手伝っていました。

その合間に打ち合わせや、
事務作業といった感じです。

ちなみに、
当時は流用素材はゼロですから全て描くのです。

背景人物商品、
何一つ流用できるものはありません。

平成3年の11月の創業から半年くらいで、
アクアの名前は大手代理店の
クリエイティブの間では有名になっていました。

仕事は相変わらず順調でした。

それはなぜか?

第二話 起業当初から貫いてきた一つのブランディング戦略

私には20年前の起業当初から、
1つの戦略がありました。

「競合に勝てる絵コンテを提供する」

というブランディング戦略です。

競合プレゼンで威力を発揮する
アクアの絵コンテですが、
TVCMのプレゼン用絵コンテである以上

“競合コンペ”

で勝てなければ、意味が無いのです。

そもそも、
ちょっとした規模の広告展開になると、
ほとんどが媒体費と言って出稿料ですが、
予算20億円位になります。

ですので、実は必死です。

代理店のプランナーは競合に負け続けると
「明日から札幌に行ってくれ!」
という具合に飛ばされてしまうのです。
「競合に勝てる絵コンテ」とは何か?

それは、発注者である広告代理店のその先にいる、
競合プレの決定権者としての
クライアントの社長に喜ばれる絵を提供することです。

大企業の社長・重役は当然、
広告や絵コンテについては素人です。

ですから、
素人が見て分かりやすいことを重視したのです。

第一に、
クライアント会社やその社長の嗜好や意向を汲んで、
絵に反映させたこと。

第二に、
見てキレイで、絵全体がリアルで分かりやすく、
タレントも似ている、
さらに企画内容もオーバーに表現されている絵を描くこと。

この上記二点を徹底的に制作社員にすりこみました。

直接の発注者である広告代理店より、
クライアントの社長に喜ばれる事を意識し続けたのです。

他の絵コンテ業者は、そこまで意識しません。

通常は代理店担当者に喜んでもらえる事を
考えるのがせいぜいです
(そもそも、代理店担当者は、
クライアントの意向を心得ていますので、
代理店に喜んでもらえるという事は、
ボーダーラインは超えている事を意味しています)。

しかし、
私はその先にあるクライアントの社長の事を想定した、
絵コンテ制作を行ったのです。

元請け会社の言うことだけを聴いて
納品するのではなく、
元請け会社の先にいるエンドユーザーの意向を
徹底的に意識して追求し続けた、ということです。

代理店担当者にクライアントの
トーンアンドマナーを確認することは当たり前のこととして、
社長の趣味嗜好や
過去の出稿傾向(CMの方向性など)を調べたり、
その社長関連の事を調べたりして、
受注した内容の絵にかなり味付けをしていました。

この戦略は「大当たり」しました。

広告業界内では、

「アクアに絵コンテを頼めば、
競合プレゼンに勝てる」

という噂が拡がっていきました。

このブランディング戦略により、
アクアは代理店が絵コンテを発注する際の、
最大の目的である

「競合に勝てるコンテ」

という称号を手に入れたのです。

一方、社内向け制作現場の戦略として、
今ではアクア式と呼んでいる
アニメ会社のような分業制による
大量生産方式も確立していったのですが、
流行った決定打としては、

「競合に勝てるコンテ」

なのです。

おかげで、発注が殺到し、
受けきれないので仕事を断ることもしばしばでした。

すると、
“仕事を断るほど繁盛しているアクア”
という噂が立ち、
さらに噂が噂を呼び、紹介が紹介を生むという、
好循環を生んでいったのです。

平成3年から数年間は、
世の中はバブル崩壊直後の大不況だったのですが、
アクアにはそんなことは関係なく、
業務は順調な滑り出しでしたが、
その裏には、私が紆余曲折を経て掴んでいた、
確かなブランディング戦略があり、徹底していたのです。

原田弘良感謝の理由 覚醒 編

つづく。

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