原田弘良感謝の理由 立志  前編

第一話 会社設立に向けた準備

私が26歳でアクアを立ち上げたのは、
突然Y事務所を辞めることになったことが、
きっかけです。

平成3年8月末でした。

ですので、準備も何もありませんでした。

不可抗力とはいえ、すべてが本当に大変でした。

特にお金については、苦労しました。

なんせ、
会社を設立しようという男が抱えているものが、
車のローンという借金だけなのですから。

その車そのものも、
実はY事務所勤務期間中に、
大事故を起こし(首都高の汐留の合意流地点で自爆)
マークⅡを一発廃車にしてローンだけ払っていました。

元々、私は起業の志があったために、
起業の仕方については、
それなりに勉強していました。

そして、資本金から始まって、
事務所の確保、避けて通れない大型のカラーコピー、
オプチスコープや
資料集やポーズ集その他機器類等、
どんなに切り詰めても
1000万円は軽くかかることがわかりました。

とはいえ、いかんせん資金0です。

第二話 金の工面のために奔走

今の時代と違って、
当時は創業支援のための融資など無く、
様々な金融機関を回りましたが、
取り合ってくれませんでした。

8月末にY事務所を辞めて、
10月には開業したかったのですが、
資金などまったく無い、途方にくれました。

しかし、なんとかしなければならない。

そこで、
高利の商工ローン(いわゆるサラ金です)
に手を出しました。

年利30%の金利だったと思います。

年利30%ということは、
100万円借りたら、130万円返す、ということです。

暴利です。

しかし、
それを借りるしか、どうしようもありませんでした。

その当時も、ろくでもなかった、父親のところに、
金を借りるから保証人になってくれ、
と頭を下げにも行きました。

そもそも、金は無いのがわかっていましたから、
保証人になってもらおう、と思ったのです。

そのローンで300万円を借りました。

金利だけで年間100万円くらいです。

返済はその後数年かかり、大変でした。

その商工ローン会社は
その後大きな事件をおこし倒産しました。

さらに、スポーツ新聞によく載っている
「クレジットカードでお金貸します」という広告を見つけ、
電話で申し込みました。

実はこれが、クレジットカードを使った、
サギまがいの融資でした。

当時、アメックス他いくつかのカードを持っていましたが、
クレジットカードで自ら高級品を買って換金する、
というものです。

その手口はこうでした。

そもそも、すべて電話でことは進みます。

まず、デパートに行って、
「ロレックスの腕時計を買え!」と言われました。

不審に思いながらも、藁をもつかむ思いなので、
実行します。

70万円くらいだった、と思います。

そして、街中でローン会社の人と、落合います。

たしか、30万円くらいで引き取られた、と思います。

次の日、
今度は「ダイヤの指輪を買え」といわれました。

120万くらいだったと思います。

それを50万円くらいで引き取られました。

この時点で、
このシステムのからくりにはピンと来ましたが
もう一度電話しました。

すると、なんと今度は「カードで車を買え」というのです。

この手法は、
厳密にはサギでは無いらしいのですが、
完全に違法行為です。

いくら資金が無いとはいえ、
私は終わらせることに、腹を決めました。

そのローン会社の事務所は、
歌舞伎町のはずれの小汚い雑居ビルにありました。

ドアには、
「○○ローン」の表札と、
その横に、なんと有名な暴力団「○○組」
の表札。

「やっぱりか!」

と思いました。

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しかし、引き下がるわけにもいきません。

腹を決めて、中に入りました。

何があっても絶対に終わりにしてやる、
という覚悟で。

小さいカウンターがあり、
すりガラスの向こうには、
まるでドラマに出てきそうな、
ヤクザ風の男が、3~4人座っているのが見えました。

しかし、腹は決めていたので、
大きい声で「すみません!」と声をかけました。

すると、奥からスーツを着た若いヤサ男が、出てきました。

その奥の暴力団風なやつらは、
「何事だあ?」みたいな顔で、
こっちを見ているのが見えました。

「ハイ、なんでしょう?」ヤサ男が言いました。

私は
「クレジットカードで、物買って換金してもらった。
けれども、今度は車を買えと言われた。
もう終わりにするよ!」

すると、ヤサ男は、
「あんたが、ヤメたいって言うのなら、いいよ。もう電話しないよ」

私は「じゃあ終わりにしてくれ!」
と大声で言って出てきました。

出てきたあと、
私は終わらせた安堵感と共に、
こんなものに引っかかった自分が
情けなくてしょうがありませんでした。

「バカなことをしたなあ」と思ったものです。

考えてもみてください、
自分のカードで、何百万も買い物をしているのですから、
当然払いは自分なのです。

とはいえ、
個人で大金を工面することは、並大抵ではないのです。

自分が情けないことと同時に、
頭にも来ていて、その広告を見つけた、
スポーツ新聞社にも、苦情の電話をしましたが
「以後注意します」程度で、
事実上取り合ってもらえませんでした。

このことを、カード会社に伝えたところ、
逆に私自身のカードが、使えなくなり、
払いは完済してください。
ということになりました。

考えてみたら当たりまえのことなのですが、
バカなことをしたものです。

これがきっかけで、
それ以後10年近く、
私はカードを作ることができなくなりました。

実は会社設立後6~7年近くクレジットカード無しで、
生活していたのです。

さすがに、26歳の私では、
ウラ社会の世界までは理解していなかったのです。

甘い誘いにはワナがあるのです。

今では自戒の念を込めながら、
いい経験になったと思っています。

第三話 離れていった友人知人

友人知人にも借金を頼みに頭を下げて回りました。

がしかし、ほとんどの人は貸してくれませんでした。

それどころか、
「やめたほうがいい」「絶対無理だ」
と逆に言われました。

貸してくれるどころか、
ほとんどの人が、私から離れていきました。

助けてくれる人はほとんどいなかったのです。

しかし、そんな中でも、
子供のころからの親友や、
知人の何人かは助けてくれました。

5万、10万と貸してくれました。

私は、この時わたしから去って行った、
人たちを恨んではいません。

しょうがないことだ、と思っています。

助けてくれた方々には、今でも感謝しています。

さらに、私はアクア立ち上げを通して
「世の中とはこういうものだ!」という感覚が
一気に分かった気がしていました。

それこそ一気に、という表現がピッタリです。

私は仕事には自信を持っていましたが、
そういうことではなく、世の中とはどういうものか?
ということです。

普通の人だったら、
社会人になってから、何十年もかかって、
人生経験の中で知っていくことを、
一気に知った感覚です。

ある意味一気に視界が開けた感覚です。

不思議なもので、この時の経験が、
人を見る目を養ってくれた気もしていました。

自分が窮地に追い込まれた時に、
去っていく人の方が多いことは事実ですが、
助けてくれる人もいるものです。

そもそも自分の回りから
友人知人が去っていくような状態こそが
人生の中で、踏ん張りどころなのです。

多くの人はショックの大きさに、
この時に挫折してしまうのです。

自分がしっかり前向きに120%で生きていれば、
見ていてくれる人はいるものなのです。

その後の人生経験もありますが、
主にこの時のことが経験になり、
私はその後ある程度年数を経てから、
本当に困っている人は助けるようになりました。

社内には反対意見もあったのですが、
技術の高いイラストレーターを、
まずは困窮した生活から救うことは、
私の責務でもあると思っているからです。

そんな状況の中で、
平成3年の8月末から
地獄のような2カ月が瞬く間に過ぎていき、
11月の会社設立に向かうことになります。

会社を設立するためには、
資本金とともに、事務所が必要になりますが、
事務所を先に借りると、
それだけで500万以上かかり、
資本金の工面がつかなくなります。

よって、9月末から2カ月ほど
私が個人事務所形式で仕事をして、
その後会社設立に至りました。

アクア設立前の2ヶ月間と
設立直後の1年間くらいは、
どんな形であろうとも、
資金を得なければならないので、
金のことで東奔西走していたのです。

原田弘良感謝の理由 立志 前篇

終わり

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