原田弘良感謝の理由 立志 中編

第一話  制作社員の人員確保

金の工面と同時に進めていたのが、人員確保です。

私がY事務所を辞めた時の前後に
5~6人が辞めていました。

そのうち3人が、私と一緒にやりたい、
と言ってくれたので、一緒にやることにしてました。

ですが、まだ制作の人員が足りない。

どうするか考えたところ、
美大に直接スカウトに行くことを思いつき、
芸大にスカウトしに行く事にしました。

そもそも美大は昔も今も、
就職先はほとんどありません。

ましてや絵を直接描く仕事で、
正社員として給料をもらいながら
絵の描き方を一から教えてくれる会社など、
今でも日本広しといえどアクアだけでしょう!

ということで、
来る日も来る日も東京芸術大学に行き、
正門付近で就職活動をしてそうな学生に、
チラシを撒きながら声をかけて回りました。

「イラストレーターを正社員で募集しているんだけど、
話聴いてみない?」

こんな感じです。

結構な数の学生が話を聞いてくれました。

話を聴きたい、
と言ってきた学生を近くの喫茶店に呼び、
説得しました。

そして芸大の日本画の院卒3人を獲得して、
合計6人の制作社員が決まりました。

金をなんとか工面し、人を獲得してからは、
事務所開設に向けた準備です。

事務所開設の準備も結構大変でした。

そもそも事務所も何百万もかかる。

大型カラーコピーは絶対必要なので、
契約をしたかったのですが、
会社設立の前になるわけですから、
私個人で契約するのです。

通常、何百万もする機器関係の契約は、
何もない個人では契約できないのですが、
いろいろな手を使ってなんとかやりました。

極力金を使わないように、
もらえるものは何でももらって事務所を形づくっていきました。

仕事の受注に関しては、
設立登記までの約2ヶ月間は、まず事務所を開設して、
私個人の名前で、絵コンテの仕事の受注を始めました。

会社設立の資本金が捻出できなかったからです。

つまり、Y事務所を8月末に辞めて、
金の工面をしながら、人材の確保をして、
同時に事務所開設に向けて、金をなるべく使わないように、
いろいろな準備をして、まずは個人の名義で始めた、
そんな感じです。

そして、いよいよ設立登記をすることになりました。

第二話 有限会社としてアクア設立

今と違い、商法改正前で、
会社の設立登記は、有限会社は資本金300万円、
株式会社は1000万円と決められていたため、
設立は資本金300万円で有限会社からスタートしました。

平成3年の11月14日です。

私を含めて7人で、スタートしました。

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泉岳寺から、歩いて2~3分の
第一京浜沿いにあるグレイス高輪という
マンションの2Fの40㎡のマンションでした。

私以外は、全員制作社員です。

お金には困っていましたが、
仕事の受注は当初からものすごく順調でした。

立ち上げ2カ月目には、
ありがたいことにガンガン仕事が来ていました。

大手代理店のプランナーの皆さんに営業に回り
「会社設立しました、よろしくお願いします」と言うと、
「仕事だすよ」「よく来てくれた!」位で歓迎されました。

今思うと業界内でのY社長の
悪いウワサも後押ししたのだと思います。

ちなみに会社設立時には、
Y社長に対してお世話になった義理があるので、
会社を設立することになりました、という旨の手紙を送りました。

すると逆にY社長からイヤガラセを受けるようになりました。

ですが、私はまったく気にしていませんでした。

平成3年と言えば、バブル崩壊直後です。

世の中の景気は最悪でした。

ですが、ものすごい需要があり、
ガンガン営業もかけていましたが、仕事には困りませんでした。

余談ですが、
その後数年たってからは、多くの人から起業に際して
「不安はなかったですか?」と良く聞かれましたが、
不安は全くありませんでした。

というより「なんとかしてやる」という感覚が正しいです。

「失敗」などという文字は
頭の片隅にもありませんでした。

第三話   資金の切り詰め策

資金の事は本当に困っていました、
置かれた状況をなんとかしなければ、と常に思っていました。

切り詰めるだけ、切りつめていました。

いかに金をかけないか、を考えました。

振る袖が全くない、しかし必要な金はかかる。

だから、いかに必要なモノを手に入れるのに安く済ますか、
を考え続けました。

たとえば、資料集めです。

今でも女性雑誌を中心にタレント資料を集めていますが、
あの雑誌の購入費用がバカになりません。

一冊700円の雑誌を20冊買ったら、
それだけで、14000円ですからね。

そこで、あることを考えつき、実行しました。

それは、美容院を回り、
月遅れのいらなくなった雑誌を、
一冊50円で買い取る、というものです。

美容院も一カ月たてば、雑誌は捨てるものですから、
50円で買い取ってくれた方がイイわけです。

これを何軒かの美容院と契約して、
あっという間に、雑誌は集まって行きました。

金をほとんど掛けずに、
膨大な数の写真資料が
一気に集まってくるスキームが出来たのです。

あとは、古本屋です。

ポーズ集など結構値段が張るものですが、
古本屋に行って、安く買いました。

洋書の写真集は、巷の大規模本屋ではなく、
洋書専門店です。

その方が何割か安いのです。

それ以外にも、
リサイクル屋で、必要な小物や電気スタンドを買ったり、
極力出費を抑えました。

私自身の机もリサイクル品でした。

さらに、コンテを描くためには、
膨大な数のイラスト用紙(PMパッド)を使うのですが、
これがB5で一枚20円と結構高いのです。

1枚20円ですからバカになりません。

B2の大きいサイズから、B5まで何十冊も毎月買いますから、
これだけで月数十万円です。

ですので小さい絵や、コピーの手差し用にB5を半分に切って、
半分だけ使って節約してました。

昔は絵コンテはケントボードという
厚いボードに貼って納品していたのですが、
これも一枚1000円以上するのです。

そのほかマーカー(コピック)、カーボ、パステルも高いです。

プロ用ですからね。

マーカーはワンセット12万位します。

画材は中古は無いため全て新品です。

封筒なども、オリジナルで作らず、
既成品を買ってきて、アクアのゴム印を押すだけです。

請求書や書類を作るためのワープロは、たまたま行った、
リサイクルのオークションの会場で、
確か2万円で買いました。

健康保険、厚生年金の社会保険にも
会社設立から1年半くらいは入れませんでした。

社会保険は個人と同額を会社も支払うため、
余裕が全くないアクアは当初は入れなかったのです。

給料なんて、もちろんありません。

全てがゼロからでしたので、
大変でしたが、仕事自体が順調だったために、
充実していました。

ちなみに、通常大手代理店との取引の開始を行うためには、
先方の口座開設といって、
取引業者として登録してもらわなければなりません。

この審査がとても厳しく、
なかなか開設してもらえないのですが、
たかだか5カ月しかY事務所にいなかったにも関わらず、
大手代理店のCDと信頼関係が出来ていたために、
スムーズに推薦してもらい、順調に登録が進んで行きました。

今振り返ると、その当時アクアを推薦してくれた
D社H社のCDの方々にも感謝しています。

当時からその事の大変さが分かっていたので、
推薦してくれたCDの仕事は優先してこなし、
クオリティにも気合いを入れていました。

それでも全ての大手代理店の登録まで、
会社設立から半年はかかったと思います。

そんなこんなで、設立から3カ月くらいたった頃、
ここまで節約したり、金を使わないようにしていたのに、
お金に行き詰まりました。

仕事をしても、
入金は3カ月先、
おまけに120日後の手形振り出しが、普通だったからです。

仕事をしてもしても、入金が無い。

正確に言うと入金まで何カ月も待たされるために、
お金に困るのです。

設立3ヶ月目には、
本当に資金繰りに困ってしまいました。

「打つ手がない」といった感じです。

そして、ある造園会社の社長のところに、
借金を頼みに行ったのです。

原田弘良感謝の理由 立志 中編

終わり

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