原田弘良感謝の理由  胎動 編

第一話 駆け出し

大学卒業後、テレビ局に入社しました。

秋口に配属の希望を提出したのですが、
私は新規部門を希望しました。

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当時、話題になっていた、
テレビ局の新サービスである、
文字放送とパソコン通信
(パソコン通信とは、インターネットの前身です)を
運営している子会社に転属となりました。

新しい事をやりたかったのです。

その部署での私は当初

「今度の新卒(私)はやけに落ち着いているなあ(フケてる)」
と言われていました。

一年目でしたが、仕事はバリバリやってました。

そこで、メディアとは何か?広告とは何か?を学びました。

学んだ、というより、自ら体得しました。

誰も何も教えてくれませんから。

その部門は子会社の中でも、10数人ほどの部隊でした。

転属して、少し経った頃、
最大手広告代理店(D社)の現場の現実を知る、
ある出来事がありました。

パソコン通信で、浜松町にある大手電機メーカーの専用サイトを作る、
プロジェクトが立ち上がったのです。

年間2億円ほどのプロジェクトです。

そこで、キックオフとして、新橋の高級中国料理の店で、
役員以下が出席する、顔見せを兼ねた接待が行われました。

先方10人ほど、こちらも10人程度でした。

先方は、宣伝部の担当役員、部長、課長、現場社員数人でした。

しかし、なぜかそのメーカー担当の
D社営業担当のB氏(当時20代後半)も
その宴席に来ているのです。

私は、一番若手のペーぺーですから、
幹事と司会をやっていました。

乾杯直後、それぞれ側で紹介をすることになり、
私がこちら側全員を紹介しました。

宴席なので「~部長はゴルフばっかりやっている、
ゴルフ部長です。

ですが、ゴルフも一番、仕事も一番の頼れる部長です」
こんな感じで、面白おかしく紹介しました。

さて、先方の番です。

先方にも私と同じペーペー社員がいたのですが、
先方さん側の全員の紹介を始めたのは、なんと、D社のB氏でした。

驚きつつ、宴席も和やかなムードの中、終わり、二次会です。

銀座のお店に行ったのですが、
その時、先方の宣伝部長がD社のB氏に向かって、
宣伝部長「おい、B(呼び捨て)、おまえ歌え」
B氏「ハイ、歌わせていただきます」
B氏は呼び捨てされ、アゴで使われていたのです。

二次会も終了し、先方のおエライさんをタクシーに乗せ、
我々はほぼ90度のお時儀をタクシーが見えなくなるまで、
やっていましたが、私の横ではB氏も一緒に深々と頭を下げていました。

その徹底ぶりを見て、広告代理店の本質を見た気がしました。

徹底してお客さんの懐に入り込むために、
本当にクツでも舐める勢いだ、ということです。

第2話 ケツを拭くという事

売上は一人で相当上げていました。

与えられた既存の仕事だけでは飽き足らなくなり、
その後、媒体を売りながらも、
新しいプロジェクトに取り組みたいと思い始めました。

いろいろな企画を考えて、実行していました。新しい部署ですからね。

そんな中で、今で言うフリーペーパーの発行を企画しました。

部長に提案したところ「やってもいいよ、
でも、ケツは拭けよ」と言われました。

社内では私一人が担当し、制作編集全て外注です。

パソコン通信の普及啓蒙と、当時会員制だった、
テレビ局のパソコン通信ネットの会員獲得のためのものです。

季刊で20万部は発行していました。

広告を入れて、制作編集印刷他の経費すべてを賄いました。

広告を取るため、各パソコンメーカーや機器メーカーの宣伝部を一人で回り、
出稿をしてもらいました。

ちなみに余談ですが、今は潰れてしまった、
大手証券会社のY一証券の宣伝部にも行きました。

パソコントレードが始まったばかりの頃です。

ちょうどバブル期で、トイレは総大理石、
宣伝部長は、革張りのイスにふんぞり返りながら、
「また、カネせびりにきたの~」とイヤミを言われながらも、
二つ返事で出稿してくれました。感謝です。

フリーペーパーの配布ルートのひとつは、
秋葉原の大手量販店の店頭に置いてもらう。

これは、数10か所に置いてもらっていました。

もう一つは面白い手法を取りました。

各パソコンメーカーや周辺機器メーカーの梱包パッケージに同梱してもらうのです。

つまり、パソコンを買い、そのダンボールをあけると、
パソコン通信入会書の付いたフリーペーパーが入っているのです。

これが大当たりしました。

これにより、最終的には会員が3倍くらいには増えました。

A4版30ページほどのフリーペーパー雑誌を20万部発行して、
費用は実質0円です。どころか、数10万円は毎回利益が出ていました。

最近よくあるペラペラの紙ではなく、厚手の紙を使いました。

経費をかけずに会員がどんどん増えていくのです。

このプロジェクトで社長表彰を貰いました。

24歳のときです。

たしか、毎回1000万円くらいは制作印刷費はかかっていましたから、
一千数百万の広告出稿料という事です。

しかし、そうそううまくばかりは行きません。

発刊を始めて、1年くらいたった頃、さすがに、
広告の獲得から一人でやっていたため、
広告代理店を使いたいと思い始めました。

そもそも、この仕事以外に日常の媒体の販売もやっているのですから。

媒体価値としても、大手は取り合ってくれないでしょうから、
付き合いのあった、中小の某広告代理店に頼みました。

これが、後々大変な事件になります。

私が取ってきた、広告出稿クライアントをすべて渡すから、
おたくは、新規を取ってきてくれ、との約束で頼んだのです。

それから、半年ほどたった頃、その代理店は「降りたい」と言ってきました。

新規が取れないというのです。

私は「ちょっと待ってよ~」の状態です。

そこで、事態収拾のための会議が開かれました。

出席者は、私と部長と課長、先方は役員、部長、現場担当者でした。

その場で、先方から数枚の書類が出されました。

そこには、なんと
「○月○日 原田氏 談~~」

と私の実名入りで、私の言動が箇条書きにされていたのです。
延々と数枚にわたって。

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そして、累積300万円ほど赤字になっていると言うのです。

このプロジェクトの流れは部長も当然知っていましたが、

実質の責任者は当時24歳の私なのです。

確かに私も「私が言うんだから、
間違いないから、やってくれ」と言い続けていました。

結局、その後また、私が一人で広告出稿を取りながら、
赤字額を先方に渡して、チャラにしました。

その後の補てんはかなり大変でした。

ただでさえ、広告出稿してもらうのは大変なのに、
300万円の赤字を埋めなければならないのですから。

自分でプロジェクトを考え、実行し、結果を出すことは楽しいことです。

しかし、私がこの件を通して一番学んだのは、ケツを拭くということです。

プロジェクトを考え、実行できたことより、
ケツを拭いた経験の方が、はるかにイイ勉強になりました。

企画実行時に考えていたことより、数倍、
赤字を補てんする方法論を考え実行しました。

私は、駆け出し時代にいろいろ経験させてくれた、
この会社に感謝しています。

アクアの社風や文化はこの頃に私が体験したことが、
ベースになっています。

自由な空気や、何でもやりたい事に挑戦させる土壌。

とはいえ、誰も助けてはくれません。

しかし、やる気のある私にとっては、すばらしいフィールドだったのです。

第3話 若い自分を見つめ直す

とまあ、こんなこともあり、会社に入って数年たち、
幼少のころのろくでもないオヤジの事や、
仕事の事など、自分の中で整理をつけたいと思い、
当時流行っていた、自己啓発セミナーに行ってみました。

(ちなみに、自腹でトータル100万位かかりました)

そこで、絵コンテ会社をやっている、Y社長と知り合うことになります。

Y社長はベンツを乗り回し、
風体も派手(チョンマゲに髭ずらで、かっぷくがイイ)
といういでたちで、目立っていました。

ちなみに、知りあった当初は、自分は画廊を経営している画商だ、
と言っていました。

その後、絵コンテの会社だと知り、
仕事柄、絵コンテの事は知っていましたから、急に仲良くなりました。

当時私は25歳、Y社長は38歳くらいです。

そのY社長から「近々子会社を作るから、
そしたら、君を社長にするから、ウチに来てくれ。

子会社を作るまでは、当社の役員として迎えるから、来てほしい」と言われます。

私はOKしました。

しかし、それから会社を辞めるのが大変でした。

辞めさせてくれないのです。

1月初めに会社に退職願を出し、
3月に辞めようと思ったのですが、
部長役員社長と、毎日飲みに連れて行かれ、「辞めるな」と説得されました。

しかし、私のハラは決まっていたのです。

部長からは「君を昇格させるから、
その絵コンテの仕事の部隊を社内に作ってあげるから、残ってくれ」
とまで言われました。

しかし、3月末日でやっと辞められました。

翌日の4月1日から私の絵コンテ人生の出発点となる、
Y社長の会社に出勤することになるのです。

原田弘良感謝の理由 胎動編

-終わり

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