昨日、虫プロ社長 伊藤 叡氏の講演を
アクアの社員数名とともに、聴きに行きました。
言わずと知れた、日本初の国産TVアニメーション
「鉄腕アトム」。
手塚治虫先生によって創造されたアトムを
動く作品として世に送り出したのが、
虫プロダクションです。
手塚治虫社長の後を受けた伊藤社長の講演でした。
アニメ、アトムの制作手法から、
虫プロ倒産、再生の御苦労などの
お話が聴けて大変有意義でした。
一番初期のモノクロ「アトム」は平均視聴率40%で
4年間(1963.1.1 ~ 1966.12.31 全193話)
放送されたそうです。
今でいう、キャラクター商品として、
番組提供の明治製菓
(ちなみに、代理店は万年社だったそうです)は
マーブルチョコレートにシールをつけて売れまくり、
森永を抜いて、翌年食品メーカートップになったそうです。
番組終了後、アトムの海外輸出もされ、
商品化権収入は当時で5億円を超えていたとの事。
しかしながら、損益をトータルすると、
逆に1憶3千万円という膨大な赤字を抱えてしまったそうです。
日本人のほとんどの人が知っている、
アニメなのに実は、膨大な赤字だったとは、驚きです。
アニメ業界の裏話も話してもらえました。
当時、百数十人のスタッフで5つの班を作り1話1班制作で、
終わったら6話目に入る、というやり方だったそうです。
テレビアニメ制作費が安いのは、
手塚先生が初めに安く受けてしまったからだと
業界では語られているが、
本当のところは、第1話こそ安かったものの
(第1話55万円の制作費)、
最後はその5倍の250万円の制作費に
値上げしてもらったそうで、手塚先生のせいではない、
と話されてました。
本当の事というのは、当事者の方に聞いてみないと、
分からないものですね。
S48年に一度虫プロさんは、倒産するのですが、
再建するにあたって、
手塚先生は、
「俺は会社をつぶした男だから、社長はできない。
だから伊藤やれ」
といわれて、伊藤さんが社長になったそうです。
とはいえ、設立当初手塚先生は
アトム制作に意欲的に取り組まれ、
その後の世界に誇る日本アニメの礎となる、
いろいろな手法を取り入れたそうです。
アクアもその手法の一部を参考にして、
今があるのです。
手塚先生の伝説は、枚挙にいとまがないですが、
直接の関係者の伊藤社長に話を聴けて、
時代の扉を開くことの大変さに感動すると共に、
ご苦労のお話など身の引き締まる思いで聴いていました。
お読みいただいてありがとうございました。
つづく・・・。